卒論が終わった。
とうとう学士課程がぜんぶ終わった。

わたしは今後、大学院に進学して女の子たちの性的搾取について研究する。
大学に入学したときから(入学するずっと前からかもしれない)、わたしのなかにいちばん大きく存在しているテーマである。

このテーマをもったのは、言わずもがな自分の経験由来である。
「いい子」として生きてきた過剰適応状態のわたしが、思春期に差しかかりアイデンティティ確立という発達課題に直面したときに、うっかり、かつ必然的に、売春と出会った。

このことについて、最初に書いておこうと思う。わたしにとっては書く必要のないことだけれど、一応ここはブログだから、誰かがどこかで読むかもしれないから、サラリと書いておこうと思う。




中学生まで優等生、優等生だけが集まる進学校で落ちこぼれて、成績もよくない、華やかさがあるわけでもない、じぶんの存在価値がわからなくなってしまったわたしは、「女子高生」という身分に価値が見出されることを知った。わたしはそこを頼って、承認欲求を満たそうとしていたのだと思う。
セックスによってもたらされる「必要とされている感」はとても強い。モテる子でもなければ、優等生でもなくなったわたしはひたすら不安で、その不安をなだめる方法を求めてセックスに流れ着いたのだと思う。

これはどういうことだったのかまだよくわからないけれど、好きでもない人とのセックスにはひどく傷つけられた。好きでもない人とのセックスだからダメなのか、好きでもない人とのセックスに対する社会の認識がよくないからダメなのか、承認欲求の充足のためだからダメなのか、報酬があるからダメなのか、何がダメだったのかわからないけれど、それはたしかにわたしをひどく傷つけたと思う。
そもそも、「傷つける」という表現が明確にそれの本質を表しているかもわからない。そのときのわたしの感覚は、「傷つけられた」だった。好きでもない人とのセックスのあとのわたしは、ひどく傷ついていた。
売春の帰りの駅のホームで飲んだミルクティーが、やわらかい食感のただの液体だったのを覚えている。死んだわたしにただトクトクと流れていくようだった。




そんなこんなでわたしは売春をしていた。
アイデンティティを確立させる大切なタイミングに、わたしは売春をしていた。
結果として、わたしのこころは大変なことになった。
売春で大変なことになったという部分もあるけれど、その前から大変なことになっている部分もあって、それが売春というきっかけで明確に問題として顕在化したという方が、より正確かもしれない。


こんな過去のことを書いて泣いてしまうような段階にもうわたしはいない。書いたことによって、特に感情は動かない。わたしはだいぶ大きくなっている。
ただ書いておくことは必要だと思った。

これは、なぜわたしが性に執着しているかっていうことについての、ひとつの説明です。